ゾンビ映画はホラー映画か?

未公開のダイレクトDVD発売から、ミニシアター限定上映まで、毎年定期的にゾンビ映画が映像メディアを賑わしている。そもそもホラー映画の中の『ゾンビ物』としてカテゴライズされて久しいが、そのゾンビ映画はもうすでのホラーの枠から飛び出し『ゾンビ映画』という別途なジャンルを確立したと言ってもよいのではなかろうか。

他のホラーに括られるジャンルとしては『ドラキュラ物』『殺人鬼(スプラッター!)物』『モンスター物』『正統的超常現象物』などだろう。昔は『恐怖映画』としての括りしかなく、日本人にカタカナで“ハラァムゥビィ”というジャンルがあると教えてくれたのは「サイコ」のプロモーションで来日した時のヒッチコックだったという話を読んだ記憶がある。

そして最近はほとんど『ゾンビ物』だ。今度は一口にゾンビと言っても「バイオハザード」系のウィルスに犯され人を襲うようになった化け物もゾンビと同列に語られてしまうから余計その手のものばかりだ。

事の始めはジョージ・M・ロメロの「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」からだ。要するに“生ける屍の夜”であり、死体が甦るのが『ゾンビ』であったはずだ。実は全くこの手のホラー談義が苦手なので記憶が適当であるが、南部のヴードゥー教の呪いの死体再生もひとつの要因でしょう。だからゾンビはアメリカ南部、もしくはテキサスが舞台と限定されてよかった筈だ。

それが、なんで宇宙からの謎の光線が、ゾンビの発生の原因になったのかは全く分からないが、今やその発生の原因を語る作品は皆無となりましたね。まずゾンビ登場ありきで映画は出来上がるのです。そして更なるお約束だったはずなのが、ゾンビは揺ら揺らと大群で歩いてくるという行動原理。しかし「ドーン・オブ・ザ・デッド」か「28日後」あたりから、ゾンビを走らせる作品が増えてきた。

この走らすのはいささか不賛成。だって走られたら人間は絶対かなわないじゃない。そのため人間たちは一箇所に非難するのがゾンビ映画のもうひとつのお約束。その場所が巨大ショッピングセンター。初代「ゾンビ」の時に日本人は、ゾンビともどもその買い物エリアにびっくりした筈だ。イオンとかアリオが登場するのはそれからず〜っと後のことですからね。

その後ゾンビを倒すべく軍隊が登場し、そこに必ず女兵士がいるのもパターンになってきた。まさに「アバター」のミシェル・ロドリゲス(彼女ほど女兵士をカッコよく演じられる女優はいませんね)を金髪にしてタンクトップを着させるというものですな。

近年での『ゾンビ映画』で面白かったのは、やはり「ドーン・オブ・ザ・デッド」と「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」かな?「ダイアリー〜」で賛否が分かれるのは“ゾンビが学習する”という設定だろう。まあロメロだから踏み込めた領域の話だが、そのロメロもゾンビと人間の共生を語ってしまった「サバイバル・オブ・ザ・デッド」は違うかなぁと思ってしまった。

結局、ゾンビは痛快にぶち殺す対象なのである。そうした『ゾンビ映画』のなかのゾンビ退治のルールどおりに、本当に作り手が“ゾンビ映画が好きなのねぇ”で出来た映画が「ゾンビランド」だろう。設定が秀逸だ。ゾンビに世界を崩壊させられた後の南部。一人生き残った青年は臆病者。ゆえにルールどおりにゾンビに殺されないようにする。伝説となった安全地帯を目指し車を走らせると、もう一人の生き残りの男と出会い旅を続けていく。

なんとまあ、ゾンビにロード・ムービーがくっつくとは思っても見なかった。途中、生き残りの姉妹に騙されたりするが、最後はこの4人がゾンビのお陰で擬似家族(この設定、アメリカ映画大好きだよね)になっていくというお話。「〜ランド」ってなんだ?国という話かと思ったら、最後は本当の遊園地のランドでした。

行き着いた先はLAハリウッドで、豪邸に避難したら、なんとビル・マーレーの自宅で本人登場にはアメリカ人は大うけなんだろうなぁと思う場面の連続だった。要するにゾンビ映画の衣を借りたヒューマンコメディ&ロード・ムービーなのだ。妹役のアビゲイル・ブレスリンちゃん、益々の成長ですね。

一方、同じく現在公開中の「ザ・ホード死霊の大群」はフレンチゾンビ映画だ。もともとフランス人はけっこう残酷趣味のある人種で、60年代の作品で蜂に顔面を襲わせ殺人をする場面のある映画を見た時に確信したのだった。そのためこの映画、頭を撃てば殺せるゾンビを素手で殺そうとする残酷アクション映画ろなっている。

出だしはフレンチ・ノワールで、ギャングVS警官軍団の復讐抗争劇で、ギャングがいるビルに警官軍団が入っていき、そのビルがゾンビに襲われるというユニークな展開。まあ「REC」の影響でビルという閉鎖的空間での恐怖を演出したかったのだろう。ところが一人の女警官が強いの何の!お約束のタンクトップになり、女ゾンビを素手でぶちのめしてしまう。また弟をゾンビにやられた兄のギャングは壁にゾンビの顔面をひたすら打ち付けるとゾンビが骸骨化していくという凄いシーンもある。

ただ、そうしたゾンビとの格闘なのに、やはりギャング対警官のいがみ合いをドラマ的にしたり、女警官の不倫&妊娠だったり、ギャングはナイジェリア人で辛い目にあっていたりと変なドラマがあるから、台詞のガなり声と共にうるさくなってしまっている。女警官がもっと美人で金髪だったらもっと好評価なのかもね。

かように一口にゾンビ映画と言っても、他のカテゴリーで分けたほうがしっくりくるほど切り口が多種にわたってきたのが近年のゾンビ映画の傾向と言えるのだろう。