勘違いのハリウッド映画

仕事としてのみで映画を見るときは、年にそうはなく、仕事3割趣味7割で、愛すべき映画に対しては拒否反応はない様にしているが、たまにはつらいものもある。

マイケル・ジャクソン キング・オブ・ポップの素顔」はそんな1本で、仕事がらみでなかったら絶対にみないだろうと断言できる。なぜなら見る前から内容がすべて分かってしまているからだ。マイケルの音楽、また歌っているところなど全くないというのは著作権上先刻承知のこと。よって多少の彼の生声とあとはファンの熱狂コメントばかり。

これって映画館でかけるモノじゃないでしょう。かつて「タイタニック」で大ブレイクを果たしたときのレオ様のように、かつて住んでいた隣の家の人がインタヴューに答えている姿がほとんどの映像を「ディカプリオの素顔」とかいうソフトにしたのと一緒じゃないかいな!

ただ、映像をボーッと見ていても一言いえることはマイケルは、ただ居ることだけで皆を幸せにしたんだねぇということと生声の一部のコメントが意外やシモネタ好きのオヤジだということでした。

そんな映画以前のものを見てしまったので、お口直しにしてみたのが「バウンティ・ハンター」だったが、これが典型的勘違い型ハリウッド映画でしたね。

なにがハリウッド映画の勘違いかというと、いまだにそこそこセレブ感のあるスターさえ写っていれば客は喜ぶだろうというスター絶対主義の名残に固まってしまっていることだ。もちろんそこから脱却している映画ももちろんあるが、この映画はまだその神話を信じている失敗作ですな。

主演はジェ二ファー・アニストンとジェラルド・バトラー。賞金稼ぎで指名手配犯を警察まで連行する男と、その別れた妻が連行の対象になる、という全盛期のハリウッドならスクリュー・ボールコメディとして成立するだろう設定だ。まさに「ある夜の出来事」に「ミッドナイト・ラン」を足して10倍薄めたような出来だが、その駄目さのすべてが主役のふたりが演技をしてしまう場面すべてという珍品となっている。

ジャーナリストの元妻が追っている事件に絡む展開の部分は話が転がるのに、ひとたび場面が二人がよりを戻そうとでもするかのロマンスシーンになるともういけません。ここが勘違い。この映画にはスターのアップはいらないのです。それを知らないジェネファーの笑顔がこれほど魅力的でないとはビックリだ。唯一彼女のタンクトップの衣装だけが男性ファンへのサービスとなっているだけだ。こうしたスター主義でまだ映画が作られ続けて行くとしたらハリウッドの今後は暗いものだね。

逆に「魔法使いの弟子」はニコラス・ケイジひとりに頼りすぎ。ブラックハイマー、キャスティングにもう少し力をいれなきゃ、と思わせるほど弟子になる若手俳優の魅力のなさがこの映画の弱み。「パイレーツ」だってジョニー・デップひとりではなく、オーリーが居て化学反応があったわけだよね。これまた勘違い。ニックひとりじゃ無理な展開の映画ですよねぇ。あれじゃあ単なるナーズしか見えないし、金髪の彼女(この女優はリーズ・ウェザースプーンを3倍美人にしたようないい感じの子)をものにする説得力がないんですよね。

やっぱり映画はCGの役者で出来上がるものではないわけで、適切なキャスティングが最も大事(もちろん脚本ありきだけど)であることが最近のハリウッド映画見ていて、逆によく分かりますな。