ようやく見た「生きものの記録」

黒澤明監督の映画で最初に見たのはなんだったろうか?もう記憶が定かでないので(ちゃんと調べれば分かるが)おそらくテアトル東京の「七人の侍」のリバイバル上映か、有楽座の封切りの「デルス・ウザーラ」か?「影武者」はその後だろう。東宝創立50周年特集上映の「姿三四郎」はもう少しあとだろう。

このように記憶はあいまいなれど、いつの頃からか自然に黒澤映画を見るようにはなっていった。当然だろう、少しばかり映画をかじれば出てくる監督の名前。洋画ばっかり見ていた自分に黒澤を見るように仕向けたのはコッポラ&ルーカスか?すこしアメリカ映画を勉強すればすぐに出てくるKUROSAWAの名前、これでは見なきゃならなくなるでしょ。

今年生誕100周年ということで、ショボチンだった日比谷シャンテの特集上映の後を受けて、新文芸座で「デルス〜」以外の上映が行われているので、時間もちょうどイイ(まったくシャンテは時間も合わせられなかった)「生きものの記録」をようやくスクリーンで見る。

実はあと3本スクリーンで見ていないのです。「続・姿三四郎
「わが青春に悔なし」「一番美しく」の3本です。昨日までは4本で、ようやく今日1本「生きもの〜」をクリアしたのでした。

この映画はなかなか見る意欲が起きなかったひとつには“活劇”でないことがあげられる。やはり黒澤が世界に認められたのは“活劇”の名手だったからだと言えるでしょ。でもこの「生きもの〜」はいささか重要で、後期の「八月の狂詩曲」にも通じることは当然としても「七人の侍」の後に作られたことも興味深い。大作活劇の後の反動なのだろうか?またあの大ヒットの後だから会社が許すだろうから、今作ってしまおうなのか、作品が成功か失敗かなどはどうでもいいほど、その部分が面白い。

またキャメラ技術も素晴らしく再三パンフォーカスの効果的構図に目を見張ってしまった。スタンダードサイズの画面にこれでもかと人を配しておきながらすべての人物にピントがあっていたのだ。

この核の恐怖を戦争という風に置き換えて、中村伸郎扮する医師の言葉のように『どっち側の人間が狂気なのか』で考えてみると、そのスタンスでハートウォーミングな風刺としたのが「まぼろしの市街戦」ということになるではないか?!まいった、ここにも黒澤は大いなる影響を及ぼしていたことになるのか!勝手に「生きものの」がなかったら「まぼろし〜」も作られなかったのではないかと考えてニッコリしてしまうのであった。

音楽の早坂文雄の遺作とクレジットが出るが、びっくりしたのは『終』の文字のあとで数分サウンドトラックが回っていたこと。初封切りの時点からこうだったのかどうか文献をチェックしてみなければならなくなってしまった。