映画史と戯れていたい

仕事がら、映画の紹介の短文コメントを書くことがよくあるのだが、その時の自分の文章を読み返すと、実はその紹介しなければいけない作品自体の内容などにまったく触れていないことばかりである。

要するに、その映画のバックボーンにある映画史的なものだったり、その作品や監督が昔の名作に影響を受けているかばかり語ってしまうのである。そうしたインスパイアを語ることのほうが、より紹介としては『見たくなる』というものじゃないのかな?

昨日、久しぶりに酒を飲んだ25年来付き合っている友人が言った言葉が胸に響いた『本当は映画史と戯れているのが一番楽しいんだけどねぇ』まさにそのとおりなのである。

仕事で新作映画を単なる“内容確認”として次々に見なければならない、義務が(まあ、勝手に自分に課しているのですが)なければ、毎日古い映画ばかり見ていたいと思い続けている。
今日はMGMミュージカル、明日は東宝青春映画、次の日は40年代の戦争映画か西部劇、はたまた大映時代劇か、東映仁侠映画といった按配である。

ところが最近の若者にはこうした映画史への興味はまったくないと聞く。映画は好きだけどジョニー・デップが好きだから見るだけで「アリス」がいかにティム・バートンの映画オタクとしての、過去の様々な映画の地と肉から出来ているか(特にディズニーを中心としたアニメ)を知ろうとしない。

映画をかじり始めた頃、まずはエジソンではなく、リュミエール兄弟を認識し、「列車の到着」や「月世界旅行」「大列車強盗」などを経て「ジャズ・シンガー」に至る、それが映画に対しての深い理解のスタートだと思ったのに、それを今は必要としないという状況ということだ。

一部の映画仲間がそれでは作品の継承もままならないと一人でも多くの若者に映画史を教えようとしている。実は自分にはそのエネルギーがなく、そうした若者に面と向かう面倒を避けてしまう傾向にあったが、かつてはヒッチコックを教えまくってファンにしてしまった事実もあるように本当は嫌いではないのですね。

現在のパッケージメディアや放送形態など、映画に触れようと思えば70年代ひたすら名画座を追いかけた頃とは違い簡単に過去の名作群を見ることが出来る。そうした接点で若者たちと映画の話をするよう心がけてみるかなぁ・・・

とはいえ自分は映画館でしか見ないけどもね。