想い出の銀座が遠くなりにけり

先日、思い立って久しぶりに銀座の『直久』で昼にしようと行ってみて驚いた。もうとっくに閉店してしまっていたではないか!というより東芝ビル自体が阪急を残してすべて閉まっているではないか。

こうしてしばらく行かないと、銀座界隈がどんどん変わっていってしまう。自分がはじめて銀座に(当然映画を見に来たのですが)足を踏み入れてからどれだけ多くの店、建物、映画館などがなくなってしまったことか・・・。

ともかく映画街の日比谷、銀座なわけだから、当然はしごして映画を見るようになる。話は少しそれるが、会社の先輩で『映画を見るんだったら銀座に行くね』という方がいて、『あっ、この人の映画の見方って信用できるわ』と思ってしまった。それだけ自分にとっても映画=銀座の図式は成立しているのだ。

話を映画のはしごに戻すと、朝から1本目見るわけだから当然それが終わると、次の映画館に行く前にランチタイムとなる。『直久』もそんな時に利用していた店であるが、同じようにラーメンであれば、現在のマリオンの裏口にあたるところにあった『カントリーラーメン』もよく行きましたね。

70年代後半の高校時代はほとんど、ここのラーメンか旧東宝本社からガードをくぐったコリドー通り入り口の『カレーの王様』のコロッケカレーでしたね。

高校卒業後、就職し最初の給料で大学に行った友達に「おごってやるよ」と息巻いたら(自分としてはカントリーラーメン大盛り全部のせ程度のおごり)、その友達は「よし、酒だ」となってビックリ、結局入ったのが(これも今はなき)ソニービル裏のハプ『シェイクスピア』だった。

このパブはふつうのラウンジとバニーガールのラウンジのふたつがあり、その後、男同士でバニーに生きまくっていた時期がありましたね。そして酒を飲んで映画を語るようになると当然行き着いたのがシネスイッチ銀座の隣にあった『オールドムービー』。このパブの閉店はかなり寂しいものがあった。

そもそも、はじめて銀座に降り立ったのは丸の内線の銀座駅であるわけだから、正確には有楽町で、はじめて目にした建物は旧日劇でした。隣の朝日新聞社内にあった朝日ホールにもよく試写会でいきましたね。日劇のなかにあった日劇ミュージックホールには18になった瞬間に潜り込み、日比谷スカラ座ビル内に移ってからは定期的に通いましたよ。

なくなってしまった映画館は折に触れ語ってみたいが、映画館以外の建物でなくなってしまって寂しいのが日比谷のパークビルと三信ビルだ。特に三信ビルの古い外観は映画に一場面に使われ、原田知世の「愛情物語」の彼女が自転車を止める(上から撮っている)カットで見られる。

また旧日比谷スカラ座のビルも薬師丸ひろ子の「Wの悲劇」のラストでロケされている。映画館から降りてくる階段を使っている有名なクライマックスシーンだ。実はこの2作のロケの現場に居合わせているから、いかに自分が日比谷をウロウロしていたか、というものであろう。

『直久』があった東芝ビルには旭屋書店があり、初めてクレジットカードで本を買ったのもココ。洋書だったら晴海通りのイエナ書店に行って買い物をした。

映画の前売り券をプレイガイドで買っていた時代には鳩居堂に入り浸り売り場のお姉さんに顔覚えられてしまってました。

よく渋谷へ行けば芸能人に会えるっていうけど、昔は銀座でしたね。それも簡単な方法はラジオのサテライトスタジオ。日比谷といえばニッポン放送の本拠地。今の西銀座デパートの宝くじ売り場はニッポン放送のサテライトスタジオでしたね。日比谷映画&有楽座跡地がシャンテに生まれ変わった時には、TBSがサテライトスタジオ開設したのも今は昔か・・・。

かつての(池波さんらが愛した)銀座がどんどんなくなってしまっている。銀座はもっと昭和のにおいがしても良いのに、それを消そうとしている感じもある。歌舞伎座が閉まって建替えになるが、その横にあった立ち食いそば屋の『かぶきそば』はどうなっているのか、今度確認しに行こう。もしもうなくなってしまっていたら、松竹の人に詳細を聞いてみようと思う。