仲ちゃんに目が点!

仲里依紗の出演映画で最初に見たのは「ちーちゃんは悠久の向こう」だった。なんて読んだらいい名前なの?と思いましたね。『なかざと』でいいのかな?すると名前はなんて読むの?TVの映画紹介番組かなにかで、ようやく仲一文字の苗字と知ってから、不思議に気になり作品を追っかけるようになりました。

本人の望むと望まざるとに関係なく、イメージとしてはセーラー服が似合う活発な女の子というもので、そうした女子を演じさせたら、いわゆる等身大の魅力があるというやつですね。

続く「ガチボーイ」「純喫茶磯辺」「ハルフウェイ」と(すいません、どれも好きです)路線的には守られていて今年は、その路線の決定版として「時をかける少女」が登場したと言えますよね。

ひとつ前の「パンドラの函」(すいません文字出ません)では、かなり魅惑的で(女のとしてです)、おお、仲ちゃんも大人になってきたのねぇ、もうセーラー服は着ないのかな?と思っていたら、「時を〜」が来たから『やはりこっち路線は崩さないのか?』といささか(作品の出来とは別に)落胆もした。

しかし、そんな感想も何もすべて「ゼブラーマン2」でぶっ飛ばしてしまった。いやぁ〜痛快とは、このことなりという言葉以外出てこないイメージチェンジだ!略してイメチェンという文言自体も好きじゃないけど、仕方ないでしょう。

昔の映画業界だったら許されないでしょ、こうした変貌ぶりは。一旦作り上げられたイメージは(例えば清純派がありますよね)売れ続けている限り守られるのが業界の常識だった。

例えば70年代の清純派の歌手がそうであったように売れなくなってきて初めて、心機一転と称し日活ロマンポルノに出演したりして(今だったら写真集か?)イメージの脱却を図っていくのがパターンだった。

ところが、仲ちゃんはあっさりと『こんな仲はいかが?』とばかりゼブラクィーンに挑戦、作品そのものの屋台骨を請け負ってしまったではないか!これを痛快と言わずしてなんと言おう。

それだけ、この「ゼブラーマン2」は仲ちゃんがもしいなかったら、スルーでしょ、という映画になってしまっているが彼女のビジュアルで語られるべき映画に留まることが出来たのである。そのメイク、衣装、アクション、歌すべてがカルチャーとしての存在感を示すことに成功している。

だから余計に『合体』などせず、あくまで対立のシュチエーションにこだわってほしかったし、クィーンに惚れているお付の兵士の死に涙なんて入れて欲しくなかったのですが・・・

ともあれ、これで仲ちゃんの役柄が飛躍的に広がっていくことは事実でしょう。もしかして青春映画でありながら、そこに登場する女子大生は、実は若きファム・ファタールであった、といった映画が出来てもぜんぜん不思議じゃないでしょ。