市川雷蔵 賛!!

60年代後半から、ようやく東宝の日本映画を中心になんとか邦画にかじりついて来た者にとっては、50年代の映画黄金期から60年代前半までの、いわゆる映画が娯楽の王様だった頃の作品群はどうしても漏れ気味なものが多い。

中でも時代劇はなかなか縁遠く、黒澤明監督の時代劇ならまだしも、要するにプログラムピクチャーとして量産されていた東映大映の時代劇はまだまだ語れるほどではないのです。

それでもまだ大映だけは市川雷蔵という永遠の大スターの存在があるだけ、まだ触れる機会があり、何年か前の『市川雷蔵映画祭』(そのときは銀座シネスイッチがメイン館だった)に通い、その魅力の片鱗にため息をつかされたものでしたね。

でも実は私、雷蔵を見に行くふりをして、これまた大映の大スター、若尾文子さんを見に行っていたのですねぇ、やっぱり女優が優先となるのです。名画座川島雄三の「しとやかな獣」をたまたま(大映という意識もなく)見てしまい、その美しさ、妖艶さ、もっと単純にいえば『いやらしさ』にやられてしまってからというもの、それまでの『いやらしさ』の女王の座にあった岩下志麻さん(「内海の輪」!「その人は女教師」!)を蹴落として、若尾さんが女王に座についたのでした。

だからいつも市川雷蔵主演作を見る順は、ほぼ若尾さんとの共演作(いやぁ〜「安珍清姫」だいすきだぁ!)が優先となり、川島雄三監督の大映時代の作品も、そして増村保造監督の作品群は当然のこととして若尾作品ありきだった。

そんな不純な雷蔵ファンとなった男として、今回の『大雷蔵祭』も多くの作品を見たかったのだが、なんせ角川シネマ新宿がなにを勘違いしているのか、まったくキャパがたりないシネマ2での上映なんてするもんだから、何時行っても見れん状況となってしまっていたのです。結局アンコール上映となったものの、今度は朝の1回しか上映しないもんだから行けるわきゃない。ようやく都合をつけてDVD未発売の「手討」を見る。

いや〜、見事なメロドラマ時代劇でしたねぇ。青山播磨(雷蔵)という殿様とお菊という奉公にあがっている娘との恋を縦糸に、そして旗本と大名の関が原以来の確執を横糸にして、身分の差のある恋の行方と武士の家と名誉とを悲劇的に描き出す。

今更いうまでもなく、予告に『映画は大映』と見栄をきるだけあって大映の何が凄いかって、美術、衣装、照明、撮影などのスタッフの技量である。本当のプロの仕事っぷりを堪能できるのである。あとはその画面の中にキチンとした侍の顔をもつ男優陣(若山富三郎と名乗る以前の城健三朗!)と美しき女優がいさえすれば良い!

身分の差をいとわず、お菊に向かって未来永劫の愛を誓う播磨の決め台詞は、その辺の韓流メロドラマなど足元にも及ばず、また播磨に扮する雷蔵の気品と、男が見てものぼせてしまう美しさではないか!

その凝縮された映画美がなんと上映時間85分である。いかに今の(アメリカも含め)映画が無駄な台詞と無駄な場面の数々で上映時間を長くしているかが分かってしまう。その技量は当時の2本立て興行ゆえの上映時間の制約に鍛えられた結果とも言えるだろうが、それこそ黄金時代のプロの仕事だったのだ。

と作品そのものと雷蔵を絶賛しつつも、もっとも目を奪われたのは藤由紀子の例えようもない美しさだ!こういう本当の美人しか女優になれなかった時代を噛みしめるのであった。

やっぱ、女優ですよねぇ〜!