ウディ・アレン・イン・パリ

ニューヨークで映画を作り続けていたウディ・アレンであるが、このところヨーロッパを舞台にした映画が多い。ペネロペ・クルスにオスカーをもたらした「それでも恋するバルセロナ」は、そのタイトルで分かるようにスペインで撮った映画。その前の「マッチポイント」「タロットカード殺人事件」「ウディ・アレンの夢と犯罪」(個人名がタイトルに付くのがどうも好かないなぁ)の3作はイギリス・ロンドンが舞台だった。

前作「人生万歳!」が久しぶりにニューヨークが舞台だったので“やっぱりいいなぁ”と思っていたら、今年公開の2010年製作「恋のロンドン狂騒曲」と、この「ミッドナイト・イン・パリ」(公開が逆になったが、こちらが2011年度作品)、そして次回作も、原題「To Rome with Love」が示すように、またまたヨーロッパ各地で映画を撮っている。でも、その中で個人的感想を言えばアレンにはパリが一番よく似合うと思う。まぁ「世界中がアイ・ラヴ・ユー」で、セーヌの畔で「パリのアメリカ人」ごっこの場面で部分的に使った影響か?

物語はパリについての男と女の思い入れの違いを描いたものと言える。映画脚本家で処女小説を書こうとしているギル(オーウェン・ウィルソン) と婚約者イネス (レイチェル・マクアダムス) のパリ滞在の数日は、イネスの裕福な両親と偶然出会ったイネスの友人ポールのお陰で、すれ違いの日々となる。ある夜ギルは酒に酔ってパリの街角で夜中の12時を迎える。そこへ1台の旧式タクシーが止まり、乗って着いた先は1920年代のパリだった。

パリの街角の、様々な場所を切り取った画と音だけのオープニングカットに魅了される。しかし、ギルが時空を越えて1920年代のパリに行ってからは、ひたすら夜の場面が主役で、ウディ・アレンには珍しいタイムトラベルのファンタジーである。同系列の作品を、多くのフィルモグラフィーから探せば「カイロの紫のバラ」になるだろうか。主人公が過去の時代に入り組む今作と、過去の映画が上映されているスクリーンに入ってしまう「カイロ〜」だ。

でも、こうした過去に対する憧れ、思い入れなどはウディ・アレン映画では基本線のようなもので、脚本を書いた出演作「ボギー、俺も男だ!」からして、「カサブランカ」という昔の名作へのオマージュであるし、「マンハッタン」や「スターダスト・メモリー」のモノクロ画面、自伝的内容の「ラジオ・デイズ」、「世界中が〜」はマルクス兄弟、「カイロ〜」はフレッド・アステアへの思い入れ、「影と霧」の昔のドイツ映画の表現主義的な描写などと、これほど過去にこだわっている作家はいないと言ってもいいんじゃなかろうか。

その究極が今作で「狂乱の時代」と呼ばれた1920年代のパリは作家、音楽家、画家、映画監督、写真家など、多くの芸術家が集まった時代。劇中の登場人物たちもF・スコット・フィッツジェラルドコール・ポーター、ジョセフィン・ベイカー、ピカソ、サルヴァトーレ・ダリ、ガートルード・スタインルイス・ブニュエルマン・レイ、そしてヘミングウェイと次々に出てくるのだが、その雰囲気のそっくりさんぶりが大いに笑える。分かりやすいのはエイドリアン・ブロディのダリ(爆笑!)だが、若き日のルイス・ブニュエルのギョロ目がソックリ、このキャスティングは見事!

そうした過去の人物に『あぁ、ミケランジェロの時代が良い』などと、更に過去への憧れを呟かせるという、徹底した過去へのオマージュ映画としたところがユニーク。でも最後はコール・ポーター好きの現実の女の子に出会って、婚約者なんて知らねぇやとなるのも、またウディ・アレンらしいところ。そう、時代へのこだわりと女性へのこだわりは別ですからね。

そして相変わらず女優の趣味は最高である。ここのところのアレン映画の女優陣をざっと眺めてもティア・レオーニスカーレット・ヨハンソンレベッカ・ホールペネロペ・クルスエヴァン・レイチェル・ウッド(「レスラー」の娘役が良かった!)と来て、今回は(大好きな!)レイチェル・マクアダムスとマリオン・コティアールだ。

ウディ・アレン映画の楽しみ方は、女優を見ることにアリ!